X線・ガンマ線検出器の開発に参加していたフランス国立宇宙研究センターの雷観測衛星Taranisは、2020年11月17日 午前2時52分 (パリ時間) に、フランス領ギアナ・クールーのギアナ宇宙センターよりVEGA17号機で打ち上げられました。打ち上げ直後は順調に高度を上げていきましたが、4段目の点火後に異常が発生し、残念ながらTaranisおよびスペインのSEOSAT-ingenioは所定の軌道に投入されることなく、失われてしまいました。打ち上げから1日半がたち、今の心境をまとめておこうと思います。
Taranisはすでに構想から10年以上がたち、ようやく打ち上げにたどり着きました。X線・ガンマ線検出器 (XGRE) は2009年からAPCでの開発が始まり、私は2018年から参加しています。私の参加後も様々なトラブルがありましたが、現地メンバーとともにそのトラブルを乗り越え、検出器のデリバリー、衛星全体での試験を経て、ようやく待ちに待った打ち上げでした。
VEGAロケットは15号機で二段ロケットでの不具合があって失敗していましたが、そのあと原因究明が行われ、16号機は今年の9月に無事打ち上げられました。何ら問題はないと思っていただけに、今回の17号機の打ち上げ失敗は想定外でした。
打ち上げはライブ中継を見ていました。順調に高度を上げ、中継が一旦ギアナのCMに切り替わり安堵しました。ところが画面が再び中継に戻ると、ロケットが所定の軌道からそれていることが伝えられました。この時点では、4段目まで点火したのだから、所定の軌道まで到達しなくても、低軌道で分離して衛星は助かるのではないかという希望を持っていました。そのあと中継は中断され、arianespaceのロゴが流れ、長い沈黙がありました。しばらくして中継が再開されましたが、キャスターの表情は暗いままです。すぐにギアナと中継がつながり、arianespaceのCEO自ら説明がありましたが、”la mission est perdue.”と聞いて、終わったと思いました (CEOは英語で喋っていましたが、CNESによるフランス語通訳を聞いていました)。perdueという単語がこれほどまでに重かったことはありません。衛星が所定の軌道でないながらも投入されるのではないかというかすかな希望も失われ、Taranisは完全に失われてしまいました。中継が終わって一眠りして、やはりまだどこかでこれからTaranisが出してくる珠玉のデータに未だ期待している自分がそこにはありました。
今回気づいたのは、科学衛星には立場によって2つの喜び、そして悲しみがあるということです。私はこれまで開発者として携わってきました。APCの同僚のほとんども技術者です。開発者の立場としては、打ち上げが成功した日には、自分の開発した機器が宇宙に行ったという喜びがあります。そして私は科学者としての立場もあります。そこには軌道上で得られるデータを解析し、新しい科学的成果を得るという喜びがあります。しかし打ち上げに失敗してしまうと、もちろん科学成果を得ることはできません。衛星が失われたと聞いたときにまず最初に悲しんだのは科学者としての立場ででした。Taranisでしかできない研究は私のテーマも含めて数多くあったはずで、それが全く達成されないまま終わりを迎えてしまったのは無念としか言いようがありません。一方でやや時間が立ち、そしてarianespaceの発表で衛星が地上に再突入したと聞いたときには、自分の開発した機器が失われたことに対する悲しみが勝ってきました。これは親しい人の死と近いのかもしれません。前者は未来に対し、後者はこれまでの過去に対しての悲しみです。またこちらで一緒に働いている同僚は後者の悲しみにくれていることでしょう。開発に数年間注力した検出器が一瞬にして失われる、その悲しみは私でさえ想像できないものかもしれません。
私にとって衛星喪失の経験は2度目です。1度目はX線天文衛星「ひとみ」でした。私自身は開発に直接は関わらなかったものの、つくばでの熱真空試験にシフトで参加したり、実機を見せてもらったり、そして先輩方が成功に向けて働いているのを間近で見てきました。その先輩方と種子島まで打ち上げを見に行ったのは2016年2月のことです。晴天の美しい海岸で見た打ち上げ、YouTubeでみるのとは違い、打ち上げ時刻に向けて決して止まることのないカウントダウン、点火から10秒ほど遅れて到達する轟音、そして祈るように上昇を見守る先輩の姿。衛星分離の一報を聞いて安堵しました。
事態が変化したのは2016年3月下旬。打ち上げから1ヶ月あまりの出来事でした。指導教員から衛星が通信途絶している旨を知らされ、移動中にJAXAの会見を聞きかじりました。当初は僅かな通信の兆候があり、通信回復も期待されていましたが、それは後に別の衛星であったことがわかり、ひとみは完全に失われ、運用終了がJAXAより告げられました。その日の研究室ではかける言葉もありませんでした。順調に各検出器が立ち上がり、すでにいくつかの重要な観測も行われていた中での突然の衛星喪失は関係者の誰にとっても大きなショックでしたし、今後の業界の行方さえ左右する重大な事件でした。
ひとみの事故も今回のロケットの製造ミス (4段目の制御配線の接続が間違っていたとのこと) に近いヒューマンエラーであり、その悲しみ・憤りは計り知れませんが、やはり時間は元には戻せないものです。こういうときばかりは物理法則を破って時を戻したいと思うものです。諸先輩方は衛星の失敗にもめげず、これまでの観測データから素晴らしいD論を執筆して卒業されていきましたが、それでも成功していたら業界に残っていたかもしれない方々が次々と研究職を選ばずに去っていかれたのもまた事実です。
衛星を失った今、自分がパリにいる理由が揺らいでしまうかもしれませんが、それでも残り1ヶ月の滞在で何かを掴み取って返ってこなければなりません。地上観測プロジェクトBelisamaは依然として走り続けます。またこれまでやってきたXGREの地上試験の結果もしっかりとまとめ、次のミッションに活かすことが必要でしょう。ゆっくりと時間をかけて今回の事態を飲み込みつつ、次に何ができるかを考えていく時間が必要です。
幸いなことに、今回の失敗で職を失う人は、少なくとも私の周りにはいません。私自身もまだ任期が2年以上あリます。またこちらの同僚は技術者なので、すでに次のミッションが割り当てられている人がほとんどです。これは不幸中の幸いでしょう。ひとみのときには多くの大学院生やポスドクが開発に参加しており、事故が少なからず彼ら・彼女らに与えた影響があるでしょう。
Taranisの今後について、すでにCNESの長官がタスクフォースを立ち上げる旨を発表しています。そのタスクフォースがどのような結論を出すのか、そもそも我々はまだ打ち上げ後のショックでまともな議論ができる状態ではありませんが、注視したいと思います。そしてもしまた機会を与えていただけるならば、フランスのメンバーとともに開発を、そして世界中の研究者と観測結果を議論してみたいと夢見ています。