仕事に関係しないことをこのブログに書くのは珍しいが、まとまった記事になりそうなのでこちらに投稿することにする。年末年始に3枚のCDを手に入れたのだが、いずれも知り合いのピアニストが演奏されたもので、その感想をここにまとめておきたい。
1枚目は岡山県在住のピアニスト鳥越由美さん (http://yumi-torigoe.com/) による「やさしいまなざし」(2020年10月発売)。「やさしいまなざし」はピアノ導入教材「ピアノランド」で著名な樹原涼子先生が2013年に作曲されたピアノ曲集である。熊本ご出身の樹原先生がご両親の日常を表現されている。
何を隠そう、鳥越先生は私の地元でのピアノの師匠である。小学4年のときに紹介いただき、高校を卒業して地元を離れるまで、時には練習してこない私を辛抱強く指導してくださり、時にはいきなり難曲を持ってきて挙げ句の果てには受験勉強そっちのけでコンクールに出ることとなった私をやはり辛抱強く指導してくださった恩師である。
鳥越先生はこれまで「幻景の雫 第壱巻」「幻景の雫 第弐巻」をレコーディングされており、本作は3枚目となる。実は鳥越先生がもともと得意とされたのはシューマンを中心としたロマン派であり、独特のリズム感、時には「爽快感」と表現されるような音楽表現が特徴であった。しかしこの一連のレコーディングではその路線から一線を画し、多彩な音色を活かしたプログラムとなっている。
今回の「やさしいまなざし」はその集大成ともいえるレコーディングだと感じる。ピアノ曲集「やさしいまなざし」だけで構成されたこのCDによって、樹原×鳥越ワールドにどっぷりと浸かることができるだろう。最初の1曲目の1音からそのワールドに引き込まれている、そんな感じがした。
ただこれは私個人の経験も大いにあるかもしれない。鳥越先生のCD3枚はいずれも岡山県真庭市にある十字屋迎賓館のベヒシュタインで録音された。真庭市は私の故郷であり、十字屋迎賓館の近くには親戚の家もあるなど、馴染みの場所である。そこは都会とはあまりにかけ離れており、耳を済ましてみれば鳥の鳴き声、田畑を耕す音、たまに通り過ぎる軽トラ、といった田園風景が広がる。晴れた日に実家で窓を開け放ってぼーっとするその空気感、それが鳥越先生の演奏から感じられる。日本の風景的な優しさと、病床に伏すお母様に向けられた樹原先生のお父様の優しさ、この両面が音を通して伝わってくる作品となっている。2021年の11月には神戸で催された鳥越先生のリサイタルに行くことができたが、神戸という都会でありながら、十字屋迎賓館のような空気感をまとわれていたような印象がある。これに加えて会場であるバーとしての雑音がその空間を作り出し、その場限りの雰囲気を醸し出していたように思う。
鳥越先生はピアノランドの講師を長年務められていたが、このCDが誕生したのは2018年のリサイタルが契機とのこと。最初のCDの発売記念リサイタルが十字屋迎賓会で開催された際に、大阪でお仕事をされていた樹原先生が真庭市まで足を運んでくださった。そのときにアンコールでピアノ曲集「やさしいまなざし」の2曲目である「やさしいまなざし」が演奏されたのである。翌2019年には東京の汐留・ベヒシュタインサロンにて第弐巻の発売記念コンサートが催された。東京でのコンサートの際に、樹原先生が「多くのピアニストが著名なクラシックの曲を演奏される中で、現代を生きる樹原涼子の作品を演奏してくださる方がいらっしゃることがどれだけ嬉しいことか」という趣旨の発言をされている。個人的には幸運にもどちらのリサイタルも聴きに行くことができたのが、大変な喜びである。
正直、この3枚目のCDは完成度が高く、この次にどんな鳥越先生が現れるのか、私自身は想像がつかない。しかしロマン派を得意とされていた鳥越先生がこのような形でピアニスト活動を展開されるとは、10年前には想像がついていなかったであろう。様々なジャンルで試行錯誤しながら自分の道を見つけていかれる、これは自分の出身の分野にこだわらず分野を変えても成果を挙げることができる人こそ本物であるという研究者の生き様にも通じる部分があるが、鳥越先生は真のピアニストとして、これからも新しい境地を切り拓かれていかれるのであろう。